メキシコシティ【伝説の宿】
11月22日
だんだんと周りが近代的になっていく
念願のメキシコシティ入り口!
シティに入ってからというもの
車が横スレスレを通りすぎて行く。
10回以上は肝が冷えており、冷えっ冷えだ。
それと都会は道が入り組んでたり
車だけが通るのを想定されている道路だったり
その結果違う道を通らざるを得ない場合も多く
今回もそうだった。
めちゃめちゃ都会
記念碑
記念塔、真ん中にエレベーターが通っている。
そして目指していた場所は
バックパッカーなら知らない人は居ない
伝説級の日本人宿
「ペンションアミーゴ」または
「サンフェルナンド館」だ。
ペンションアミーゴは変人が数多く集まるらしい。
ここに合わなかったらサンフェルナンド館に泊まる予定だ。
着いてみると丁度、宿泊者なのか建物に入っていった。
その風貌は独特のものでとてもわかりあえる気がしないと感じてしまった。
しかし、グダグダしていても仕方がないので呼び鈴を鳴らす。
宿主の息子さんがズッシリとした鉄の扉が開いてくれた。
ホールが吹き抜けになっており、空が覗いていた。
そこから上った、三階の部屋になった。
三つベッドがあり、トモヤさんという平井堅似の方と一緒になった。
トモヤさんはここの常連で様々な面白い話を聞けた。
昔、ここは元は病院だったこと。
知り合いが女性部屋に間違って入り、宿を追い出され裏の公園で寝ようとしたら、オカマにボコられ荷物を奪われた話
伝説のジャンキーが居たこと。
まるフィクションのような話を聞き、物語の世界にいるようでワクワクした。
その晩は都会疲れかスグ寝てしまった。
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グアダラハラ【憂鬱、雨うつ】
11月12日
久しぶりの雨音はとてもやる気を損なわせた。
この都会グアダラハラにて過ごした日々は曇りか雨だった。
ホテルの部屋にこもって身の回りの整理やらダラダラしていたら出発する日になってしまった。
と浮かない気分で朝に出発するも雨が強くなり
バーガーキングに避難する。
それはオヤツの時間まで続いた。
さすがに宿を探さないとヤバイので雨が弱ってきたところを強行突破する。
目星を付けておいた消防署に着くも断られ
ここなら泊めて貰えると病院を紹介される。
病院で今度はインフォのお姉さんに聞いて
みる、その間やたら肩をやたらポンポンされたけど
別に寂しい訳ではないので大丈夫です。
紹介で謎の機関に泊まることになった。
それも開くのが20時だという。
その時には真っ暗じゃないか!!
「ここは危なくないから大丈夫」と言われた。
本当かな?
落書きとかいっぱいあるんですが
ケンタにて3時間ほど時間を潰す。
ネットばかりして、人間として腐ってしまいそうだ…。
そして辺りは真っ暗、街灯はあるものの日本の裏路地並みだ。
よくよく見てみると、子供や女の人が夜でも出歩いてるので割りと大丈夫かもしれない。
施設に着くと真っ暗でいかにもやってない。
「ヤバイ、間違えたのか?」と思っていると
窓が開いているのに気づき、高校生ぐらいの男の子が窓際に居るではないか
スッ…っと紹介の紙を見せる、するとドアを開けてくれた。なんかアングラな雰囲気だな。
奥の鉄格子の鍵をいくつか開けると広いホールのようになっておりそこには、先客が眠っていた。少し獣臭がした。
奥から出した医療用ベットと毛布が支給された。その匂い見た目ともに清潔のようだ。
少し警戒しながらベットは先客より離れたところに設置をし
貴重品をポケットに入れたまま眠りに落ちた。
次の日の朝5時、建物の写真
目の前の通りで昨日はなかった。出店がズラッと並んでいた。
幸い雨も降っておらず、出発した。
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マサトラン【別れはさよならじゃない】
11月1日~3日
現在、おとうさんの工場の会議室で住んでいます。
クーラーもあり快適です。
マサトラン観光
ダウンタウン近郊
鳩がたくさん居る、
なにげに海外で初めてこんな見たかもしれない
ちょうどマサトランにて
ハロウィンと死者の日を過ごした。
化学調味料を一切使っていないアイス
チョンくんもご満悦。
エレンが食われるシーン再現
死者の日あたりに売り出されるパンらしい
質素なお味。
死者の日は湿っぽいイベントではなく
賑やかに笑い飛ばすような日らしい。
死んでも向こうの世界で楽しくやっている
と捉える文化だった。日本のお盆とはまた違っていた。
水族館にて、巨大魚(スペイン語なのでわかりません)
アシカのショー、こういうのを見るたび
どれぐらいの確率で動物が反抗するのか気になってしまう
なかなかの盛り上がりを見せ、万事終了。
お宅に招かれカツカレーや唐揚げとうのご馳走をいただき
私は幸せだった。
あるとき、チョン君は「そろそろ僕は出発しなくちゃ」
と朝様子が変だなと思って、沈黙を破ったのはその言葉だった。
「そっか…」と返し、見送りに行く。
「今度は南アメリカで会えたらいいね」
「おう、気を付けてな」と私が言うと
彼はいつもより足早に颯爽と走っていった。
気楽にはなったかなと思ったが、明日から一人ということを思うと
あまり食べないタコスを少し食べたくなった日だった。
数日後
愛機エンペラーに国旗が付いた。
これもチカさんがわざわざ縫ってくれたおかげだ。
そして、今日よりメキシコシティに向けて旅立つ。
出発の時にお世話になったチカさんやその御父さん、さらには工場の方々も快く送ってくれた。
工事で寝泊まりしてるだけで「邪魔してるかな?」と思っていただけに
「旅立っても私たちがここにいることを忘れないでください、おきをつけて」と言われるなんて思ってもみなかった。
チカさんが焼いてくれた手作りのパンとお弁当を持ち出発した。
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ラパス~マサトラン【トリックorパンチ】
10月31日
無事にラパスよりフェリーに乗り
マサトランに到着した私たち。
メンテナンスをするチョンくん
に興味津々に集まる子供たち
港なだけあって都会だ。
マックもOXXOもあるんだよ。
期待に胸を膨らませて降りケンタッキーをむさぼり、ホテルを探していたのだった。
なかなか丁度よいホテルが見つからず
80ペソのホテルもあったが、ボロボロでアンダーグラウンドだった。
そんなとき、車から顔を覗かせた女性が日本人のようなきがした。
その後、先回りされたのかOXXOにその女性が居て声を掛けてきた。
「日本人ですか?」
それからすぐ出発予定だった
マサトラン生活が始まるだなんて思ってなかった。
その夜、その女性「チカ」さんと息子さんが
ハロウィンパーティに参加するそうで、息子さんを迎えに行く。
その日に書いた絵を見せてくれた。
ガイコツがクッキーを食べてるそうだ。
空手にしている人たちでハロウィンパーティだった。
これは稽古中。海外で空手とは不思議な気分だ。
と終わると皆、仮装をはじめた
ミイラ、ゾンビから魔女さまざまだ。
これは「ピニャータ」というハロウィンの遊びらしい。
悪魔が可愛い姿に化け、その悪魔を棒でたたいて退治する。
というものらしい。壊れると中からお菓子がでてくる。
その間、私たちは隙を見ては
ピザやら食べ物を腹中に納めていたのだった。
食べ物が足りなくなって追加を
頼むことになったのは余談だ。
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ラパス~マサトラン【船で】
10月30日
今日はフェリーにてマサトランに向かう日
ラパスから海岸を一時間ほど走った先にあるそうな
水は相変わらず透き通っております。
それっぽいものが見えてきた…
到着、思ったより豪華な船だった!
日本円にして6500円ぐらい
荷物チェックの時にボタンを押して
青と赤に振り分けられるけど、どういう基準かわからなかった。
ちなみに青でチェックなし
水とか食料とかダメって書いてあるけど
普通にみんなもちこんでいた。
これから船に入っていきます。
船内はこんな感じ
食堂まえで大勢並んでいる。
チケット買うと夕食もついてます。
夕食、トルティーヤとライスとカレー
私たちには少しすくないかな
となりの子が机をかじりながらガン見
これにはふたりで笑ってしまった
席は決められており、もっとお金を出せば
ベッドで寝ることも可。
エコノミーでは映画が上映されており
24時までうるさいのは困った
さらばラパス…。遠くに街の灯りがキレイに見えていた。
翌朝
しばらく甲板にて過ごすも早く起きすぎた為
なかに戻って二度寝。
しかし、寝過ごす!
ちっちゃい子に足を踏まれて起床。
すでに着いてるようでロビーにみんな向かっていた。
なんかスゴい南国なところだマサトラン。
気を引き締めて、出口へと
つづきます
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シウダーインスルヘンテス~ラパス【砂煙に包まれて】
10月28日
横にテントを張らしてもらった家の
数メートル先にOXXOがあると聞いたのでウキウキしながら向かう。
が野犬とデットヒート、早速疲れる。
キツネのような犬、かわいい
朝飯をすまして、出発する。
今日は激しいアップダウンもないだろうと地図で確認していて
楽勝気分だった。
いつもこういうところで水を補給
5リットルで5ペソぐらい
チョンの頭からアホ毛が笑
「工場中です」看板が見えた、なんてこった。
メキシコでたびたびお目にかかっているが
ここの工事の厄介さは郡を抜いている。
道路を作り直すので迂回路を通るが
その道が工事中の横をすこし掘っただけの道で
砂場、それは固くなくマトモに走れないところさえある。
さらには砂ぼこりがすごく、トラックの影がハッキリと見える不思議現象が見られるほど。
「やっと越えたか」と安心していると
「実はこの先も工事してるんだ☆」といわないものの、再び看板が見えた。
ピキピキ(※^ω^)
途中、工事のおっちゃんに水をいただく。
こっちはスペイン語わからないのにずっと喋ってくる。
「ふう、さすがに2連チャンは辛いなあ」
少しすすむと…
「ここもなんだ、ゴメンね☆」
(゜ロ゜)
「もう汗まみれの土まみれ、もういやだ」
「この先もなんだ、ほんと働き者だよねキャピ☆( >ω・)」
チーン_(:3」L)_
それを越えたあとにはお店があり、私たちにとってオアシスであった。
その店にて店員さんが日本のこの曲名がわからないと
「あなた~が望むなら~なにをされてもいいわ」
と実際に歌ってくれたが、なんか曲調が古いぞ…
調べてみると「青い果実」がヒットした。
やっぱり結構古い曲だ。
歌詞は高校生ぐらいの一途の思いを表現したのかな…
それになぜ知っているのかは、わからずじまいだった。
店員さん、過去に日本人が来たのだろうか
もうすぐラパスに着くというところで
坂になる。
前を走っていたチョンに横並びになって
やっと都会に着くと考えると
嬉しさを押さえきれない私の顔をみて
ふたりして笑った。
ラパス到着!
海が綺麗だった。
このホテルで二人で580ペソ高いなと思い
「さっきのホテル400ペソだったんだけどなー」
「じゃあ、それでいいよ!」「はい?」
到着の宴
次回、フェリーに乗ってマサトランへ!
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サンタロサリア~ロレト【人種差別と】
10月24日
朝、たきぎをする
カモメが飛んでいた。
朝日がとくべつ綺麗だった。
今日も今日とて走ります。
走ってから休憩、お店にて
40度はある日中はコーラを毎回飲み
すっきりしてから走る、を繰り返す。
ロレトのすこし前まで汗をだらだら流しながら
到着した私たちは軍隊の検問待ちをしていた。
チョンが先に受けたのだが、なにやら長い
二人とも終わって、走りはじめたときに聞いてみると
「人種差別」を受けたらしい。
なんでも、香港出発と聞くやいなや
「チーノ!チーノ!」(中国人の意味)やら
「パスポート見せろ、麻薬もってないのか?笑」
実に気分わるいじゃないか!!
フォローできなくて申し訳ないことを伝えると
チョンは「はじめて受けたけど、気にしてないよ。それに銃持ってるから危ないよ」と
旅をはじめてから始めて差別を実感した。
それはその人の人柄を無視した、偏見という暴力だった。
チョンはとても気が利きいいヤツだ。
一度、○んこを踏みそうになった私を押して助けたぐらいだ。
変な話は置いといて、中国人という偏見だけで
決め付けるなど人間性が低いと思うし、なによりツマラナイと思う。
食わず嫌いしているようなものじゃないか。
嫌いというには、接してからでも遅くないだろう。
そしてせめて、チョンの味方でいようと思った。
やっとひさびさの街、ロレトに到着
なんだか時計台の近くがにぎやかだった。
その日はちょうどお祭りの日で
コンサートをやっていたので、音楽を楽しんだ。
なんだか音楽に私はゆかりがあるな。
その夜、しこたまビールを飲みチョンが
「タコスあんまり好きじゃないの?」と聞いてきて
「実はあったら食べるぐらい」と答えたら
ショボーン(´・ω・`)としていた。
その後飲み続けて
「ちょっと酔ったみたいだ笑」とハニカミながらと言われたとき
差別のことは少し晴れたかと思い、その言葉を聞いて私も笑った。
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