【泥濘み】RioGrande〜SanJuan−ボリビア
2018年2月18日
夜中が凍死すんぜんに寒く、いままでで一番テントがカチンコチンに凍っていた。
ストーブでカフェモカを作ってパンと一緒に食べるが、質素すぎる!
自転車のカバーも氷漬けになっていた。
今日も今日とてなにもない道を走り出す。ここから小石やら小さなデコボコ道で状況はさらに悪くなっていった。
ここいらは赤土が多く、赤土の泥は半端なくタチが悪くくっつくと取れにくい。
リャマの家族。お母さんが子どもを私から庇うように動いていた。
「お、あの山は富士山みたいだ!それにあの白い山は…雪?にしては暑いし塩かな」と考えながら走っていると近くに村があり、一日ぶりに物資の補給をすることができた。
売店の子、おとなしかった。
ノートを買いに来たようで学生さんかな?仲良しそうにはなしていた。フルーツが調達できなかったものの、パンと水はゲットしたので出発する。
水没してるうううううううう
お兄さんも呆れ果てている。左から迂回することにより濡れずに通り抜けることができた。車とかバスも通るのに半端ない雨量で大変なことになってる。
こんなみちで無理して行こうとすればそりゃハマるわなwwww
とか笑って見れない現場。後ろからも車がつかえており、みんなで脱出しようと土をかき出していた。
かき出している間に子どもたちは暇なのか散策をはじめていた。
「お、こっちに面白いもんあるぞ!」と何か見つけるたびに妹を呼んでいた。自分の昔を思い出すようだった。
昼間でなにもない中を走り進めて丁度町にたどり着いた。
あの3つ並んでいる建物はなにを保管しておくものだろうか。
ひとつだけあったレストランでハンバーガーとスープを頼んで休憩した。いつもより食べ物が少し豪華。
線路はチリ方向に伸びていた。
ふと横を見ると岩があり、岩を退かしたら絶対になにかの封印が解かれそうな雰囲気。
どっちが空だかわからないレベルの鏡張り。
このサンファンから完全なローカル道に入る。が、突風が反対方向に吹いており歩いて進むのがやっとだった。
村は閑散としており、人っ気が感じられなかった。
お店のおばちゃんに「これから行くのは強風で危険だからやめておきな!」と言われたものの、進みたい気分だったので「大丈夫さ!」と補給を済ませて出発した。
リャマの親子、子供連れを多く見かける。
「ローカルな道な割には道がしっかりしてるな!」と感じながら走っていた。
が…
完全になにもなくなってしまった。
道を示すような幅もなく目印になるようなものもない。ただただタイヤ痕を目印に不安を隠しきれずに走っていた。
するとギリ、ギリリといって自転車が進まなくなってしまった。
「どうしたんだ?!」
と思ってタイヤを見ると赤土がタイヤと雨除けに完全に詰まり進まなくなってしまった。「しまった」と思って赤土を書き出そうとするものの、粘土以上の厄介さで固まってなかなか取れない。
10分かけてやっと進めるぐらいにかきだしてから、押して進むもタイヤに赤土がまとわりついてすぐに進めなくなってしまった。戻ろうにも4回ほど同じことをしなくては行けないレベルだ。
「これじゃあ何度やってもやってもキリがない!!!」と疲れもあって、若干半ギレになりながらもどうしようか考えた結果。乾いている土を見つけることにした。
どんなに歩いて進んでも泥濘みはどこまでもつづいており果てがなく「進めないとするとチリに行くための道がないぞ…」と私の絶望も果てがなかった。
少し趣向を変えて進行方向の左右に向かってみると…
「このタイヤ痕の場所だけ乾いてる!!!」
天啓だった。急いで自転車のところに戻り、そのタイヤ痕の場所まで押しては進めなくなりかき出すを繰り返して日暮れ五分前ぐらいに到着した。
わりと乾いていて乗って走っても問題がなさそうだが
暗くなり始めていた。
物陰に隠れるどころか、ど真ん中だけど…
ダイナミック野宿!!!
暗くなってから車が来て気づかなければペシャンコだが、体も精神も時間も自転車も動けなくなる手前だったので野宿することにした。
強風が吹き荒れており、吹き飛ばされないように必死に立ててテントに潜り込んだ。
できれば全部無事であってほしい、できれば地面も乾いてほしいと思いながら泥のように寝た。地面が泥のように、、、
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