世界で孤軍奮走

元自衛隊が自転車で世界一周するブログ

【砂漠のチャリダーたち】ダフラ後−西サハラ

2018年12月8日

昨日ダフラとの交差点で、警察にしつこく進むことを止められたものの進むことを決めて10分ぐらい進んだ。

 

そこで後ろから重荷を背負った自転車が二台近づいていた。それは遠くから見ても自分と同じチャリダーとわかった。こういうとき嬉しいのかと言われるとそうでもなく、チャリダーだからといって必ずしも気が合うとは限らないからだ。

 

そうこうしていると、二人のチャリダーに追いつかれて挨拶をしようと思って自転車を止めた。

 

 

二人はフランス人で自分たちの国から始めて2ヶ月くらいだという。しかし二人は元々知り合いではなく、旅先で偶然出会ってで2週間の仲だ。

 

一人はプリズンブレイクの主人公似の若い男オウトウィン。

 

もう一人は教員の笑顔が素敵なおじさんミカエルで旅をしていた。

 

話した感じで気が合いそうなので、一緒に走ることになったが数キロ走ったところで、みんな仲良く警察に運ばれてしまうことになってしまった、、。

 

 

 

そして、今日警察に連れられた自分たちは、ガソリンスタンドの空き地でテントを張らせてもらって夜を越した。

なぜ警察に運ばれてしまったのかというと、ダフラとの交差点の警察がやっぱり危ないと判断して、応援をよこして60km先の地点まで送ってもらえることになった。一応危ない地域はスキップできたので良かった。

 

朝それぞれで用意していると、すでにおじさんのミカエルが準備が整っており先に出発すると言った。今日もなんだかんだ一緒に走ることになっていたがうずうずしたのだろう、先の町で合流する約束をして出発していった。

 

若いオウトウィンと自分は一緒に出発することにした。

 

オウトウィンがいつもどれぐらいで走っているのかはわからないが、かなりのハイペースだった。自分も勝手に”日本を背負っている”気がして、日本男児がへなちょこでなめられてはいけないと思い平静を装って、必死にペースを合わせた。

 

時速24km以上を保っていた。いつもは16kmぐらいだといえばいかにハイペースなのかわかるだろう。頭がおかしくなる錯覚に陥る。

 

かなり急な坂道にさしかわり、そのときに先頭を走っており内心「キツイ顔を絶対にみせるもんか!!」とポーカーフェイスを気取っていた。そのときに余裕はなく後ろを確認せずに走っていた。

 

坂も終わり、平坦で息が整ったところで後ろを振り返ってみるとオウトウィンと差が1kmほどできていた。ちょっとニヤッとして「勝った、、」と勝手に勝ち誇っていた。

 

↑休憩中の道路脇

 

それでも平坦はオウトウィンがかなり早く、すぐに追いつかれてしまった。オウトウィンが「今日は160km走るけど、行けるよな!(ぜえはあ)」自分も「ほんと余裕だよな(ぜえぜえ)」と平静を装って、オウトウィンも平静を装って、お互いにヘトヘトで意地を張っていた。

 

こんなペースがいつまでも続くわけないと、お互いが思っていた。自分でも驚いたが長く走っているうちにそういう実力があったみたいで、向かい風なのに160kmを日暮れまでには走りきれてしまって、体に疲労がのしかかるしんどさがあったが、半端ない達成感があった。

 

二人で走りきって町に着いたときには、オウトウィンも笑顔だった。なんとなくお前やるやんとお互いに思っていて、認めあっている気分だった。

 

肝心の先に出発したミカエルを探したが目撃情報がないため、疲れ切っていたため一旦休む場所を確保することにした。建物が20ほど砂漠の真ん中に建っているような場所なのですぐにわかるはずだ。

 

今日の寝床はホテルの中庭でテントになった。それも無料だ。西アフリカでは、テントをもっていれば中庭などを使ってもいい場合があるので、割と安全に安く済ませることができる。

 

夕食は俺がコメを炊いて、オウトウィンはツナを用意して、ツナご飯にして食べた。いつもと代わり映えはしないが、疲れた体に染み渡るようにエネルギーがしみわたり、生きている充実感がした。

 

それにしてもミカエルはどこにいったのだろう。

 

つづく