【オープンワールド】SanJuan〜Ollague−チリ
2018年2月19日
強風の一夜が明けてテントからでて周りを見渡してみる
相変わらずの道路状況、いや道とすら呼べずただただ広い大地が広がっていた。
オープンワールドゲーをやっているようだ。
出発の荷造りをしているとタイヤが一つないことに気がついた。シートは夜中に風にはがされていたようでその上に重石のように置いていたが、風で飛んでいったと思われる。 ひとりでにコロコロと転がっていったタイヤを想像してみる。
↑想像の図
風の吹いていただろう方向に探しに行くも見つからず断念。
仕方なくタイヤ痕の乾いている場所の上だけを走るように出発した。
本っ当になんもない!!!
最近はこのセリフばかり言っている気がする。なんもなさはレベルアップしているが。
線路を発見!!
線路があるのを見るだけで人の住んでいる場所に繋がっていると安心する。
列車が通り過ぎていった。あの大量のドラム缶のような容器は燃料を運んでいるのだろうか。
暇すぎて自撮りしてみる。周辺には富士山モドキがたくさん見える。
「なんとなく遠くの方から近づいてくる影が2つ見えるな、バイクかな?」
とか思っているとなんと自転車だった。こんなマイナーな道通るチャリダーがいるとは驚いた。
夫婦で旅しているブラジル人夫婦だった。最近の夫婦チャリダー遭遇率高いような気がする。アルゼンチンから出発しておりコロンビアに行くと言っていた。
「これ、どこ行ったらいいの?」と聞いてみると
「私達の通ってきたタイヤ痕があるからそれを参考にするといいよ!」なるほど、これで「本当は別の場所に向かっているんじゃないか?」という不安から少しはチリに続いていると自信を持って進めるようになったわけだ!
「そっちも私の通ってきたルートを通るといいよ!でもぬかるみだけは気をつけて!」と言って出発した。
彼らの通ってきた道は今までの道より少し北よりでたまに道幅が存在していた。
1時間ほど走ると先程走っていた南側が柔らかい土地帯になっていて、彼らと出合わなかったら立ち往生していただろう。
二度目の列車。今度は人が乗りそうなタイプだった。運転手さんがめちゃくちゃ手を降ってくれたので
「乗せてくれー!」
という意味合いで必死に手を振ったが私の希望は届かなかった。
完全に順路のような道に入ったが、道がデコボコに踏み固められており逆に走りにくくなった。さっきの少しやわめの道路のほうが良かった。
しばらく走るとボリビア側のイミグレがあるらしき村が見えてきた。
村としても怪しいその場所はイミグレしか存在せず、出国手続きを済ませてチリ側のイミグレを聞くと「あと5kmほど先だよ」と言われた。
イミグレから2.5kmほど走ったところ、いきなり舗装路になった。
「これがボリビアとチリの差か!!」と先進国との力の差をいきなり味合わされて「これで走りにくい道路とおさらばだ」と期待が高まる。
チリのイミグレに到着!!
しかし私の到着と同時にバスの乗客が一気に押し寄せ、私の前に列を作った。
「くそっ!一番乗りを横取りして!」
さっきまでガラガラだったのに少し時間がかかってしまったが、手続き自体は3分ぐらいで済んでチリ入国を果たす。
町内でいままで補給ができなかった分の調達がしたいのとお金の両替をしようとお店に入る。普通は両替はやっていないが無理を言って両替してもらった。
「ボリビアの何倍の物価だよ…」
商品の値段を見てギョっとしてしまった。ボリビアでコーラ500mlが80円ぐらいで買えていたのが160円ぐらいになってる。全体的に約二倍以上だった。
しかし補給は絶対にしていないと死んでしまうので水とリンゴとトマトを買う。
村で泊まっても良かったがまだ1時間は走れたので出発する。
舗装路だがかなりの強風の向かい風で歩きの二倍ぐらいの時速10kmぐらいでしか走れない。
「舗装路になったのにこの仕打ちかあああああ!!」
誰に怒るでなく一人で叫んでいた。
寝る前にパスタを茹でて茹で上がり直後、茹で汁をムダにしないようににブイヨンを入れてラーメンのようにして食べる。
とりあえずチリには入ったので「あとは順調に進めるだろう…」とこのときは思っていたのだった。
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