マサトラン【別れはさよならじゃない】
11月1日~3日
現在、おとうさんの工場の会議室で住んでいます。
クーラーもあり快適です。
マサトラン観光
ダウンタウン近郊
鳩がたくさん居る、
なにげに海外で初めてこんな見たかもしれない
ちょうどマサトランにて
ハロウィンと死者の日を過ごした。
化学調味料を一切使っていないアイス
チョンくんもご満悦。
エレンが食われるシーン再現
死者の日あたりに売り出されるパンらしい
質素なお味。
死者の日は湿っぽいイベントではなく
賑やかに笑い飛ばすような日らしい。
死んでも向こうの世界で楽しくやっている
と捉える文化だった。日本のお盆とはまた違っていた。
水族館にて、巨大魚(スペイン語なのでわかりません)
アシカのショー、こういうのを見るたび
どれぐらいの確率で動物が反抗するのか気になってしまう
なかなかの盛り上がりを見せ、万事終了。
お宅に招かれカツカレーや唐揚げとうのご馳走をいただき
私は幸せだった。
あるとき、チョン君は「そろそろ僕は出発しなくちゃ」
と朝様子が変だなと思って、沈黙を破ったのはその言葉だった。
「そっか…」と返し、見送りに行く。
「今度は南アメリカで会えたらいいね」
「おう、気を付けてな」と私が言うと
彼はいつもより足早に颯爽と走っていった。
気楽にはなったかなと思ったが、明日から一人ということを思うと
あまり食べないタコスを少し食べたくなった日だった。
数日後
愛機エンペラーに国旗が付いた。
これもチカさんがわざわざ縫ってくれたおかげだ。
そして、今日よりメキシコシティに向けて旅立つ。
出発の時にお世話になったチカさんやその御父さん、さらには工場の方々も快く送ってくれた。
工事で寝泊まりしてるだけで「邪魔してるかな?」と思っていただけに
「旅立っても私たちがここにいることを忘れないでください、おきをつけて」と言われるなんて思ってもみなかった。
チカさんが焼いてくれた手作りのパンとお弁当を持ち出発した。
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ラパス~マサトラン【トリックorパンチ】
10月31日
無事にラパスよりフェリーに乗り
マサトランに到着した私たち。
メンテナンスをするチョンくん
に興味津々に集まる子供たち
港なだけあって都会だ。
マックもOXXOもあるんだよ。
期待に胸を膨らませて降りケンタッキーをむさぼり、ホテルを探していたのだった。
なかなか丁度よいホテルが見つからず
80ペソのホテルもあったが、ボロボロでアンダーグラウンドだった。
そんなとき、車から顔を覗かせた女性が日本人のようなきがした。
その後、先回りされたのかOXXOにその女性が居て声を掛けてきた。
「日本人ですか?」
それからすぐ出発予定だった
マサトラン生活が始まるだなんて思ってなかった。
その夜、その女性「チカ」さんと息子さんが
ハロウィンパーティに参加するそうで、息子さんを迎えに行く。
その日に書いた絵を見せてくれた。
ガイコツがクッキーを食べてるそうだ。
空手にしている人たちでハロウィンパーティだった。
これは稽古中。海外で空手とは不思議な気分だ。
と終わると皆、仮装をはじめた
ミイラ、ゾンビから魔女さまざまだ。
これは「ピニャータ」というハロウィンの遊びらしい。
悪魔が可愛い姿に化け、その悪魔を棒でたたいて退治する。
というものらしい。壊れると中からお菓子がでてくる。
その間、私たちは隙を見ては
ピザやら食べ物を腹中に納めていたのだった。
食べ物が足りなくなって追加を
頼むことになったのは余談だ。
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ラパス~マサトラン【船で】
10月30日
今日はフェリーにてマサトランに向かう日
ラパスから海岸を一時間ほど走った先にあるそうな
水は相変わらず透き通っております。
それっぽいものが見えてきた…
到着、思ったより豪華な船だった!
日本円にして6500円ぐらい
荷物チェックの時にボタンを押して
青と赤に振り分けられるけど、どういう基準かわからなかった。
ちなみに青でチェックなし
水とか食料とかダメって書いてあるけど
普通にみんなもちこんでいた。
これから船に入っていきます。
船内はこんな感じ
食堂まえで大勢並んでいる。
チケット買うと夕食もついてます。
夕食、トルティーヤとライスとカレー
私たちには少しすくないかな
となりの子が机をかじりながらガン見
これにはふたりで笑ってしまった
席は決められており、もっとお金を出せば
ベッドで寝ることも可。
エコノミーでは映画が上映されており
24時までうるさいのは困った
さらばラパス…。遠くに街の灯りがキレイに見えていた。
翌朝
しばらく甲板にて過ごすも早く起きすぎた為
なかに戻って二度寝。
しかし、寝過ごす!
ちっちゃい子に足を踏まれて起床。
すでに着いてるようでロビーにみんな向かっていた。
なんかスゴい南国なところだマサトラン。
気を引き締めて、出口へと
つづきます
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シウダーインスルヘンテス~ラパス【砂煙に包まれて】
10月28日
横にテントを張らしてもらった家の
数メートル先にOXXOがあると聞いたのでウキウキしながら向かう。
が野犬とデットヒート、早速疲れる。
キツネのような犬、かわいい
朝飯をすまして、出発する。
今日は激しいアップダウンもないだろうと地図で確認していて
楽勝気分だった。
いつもこういうところで水を補給
5リットルで5ペソぐらい
チョンの頭からアホ毛が笑
「工場中です」看板が見えた、なんてこった。
メキシコでたびたびお目にかかっているが
ここの工事の厄介さは郡を抜いている。
道路を作り直すので迂回路を通るが
その道が工事中の横をすこし掘っただけの道で
砂場、それは固くなくマトモに走れないところさえある。
さらには砂ぼこりがすごく、トラックの影がハッキリと見える不思議現象が見られるほど。
「やっと越えたか」と安心していると
「実はこの先も工事してるんだ☆」といわないものの、再び看板が見えた。
ピキピキ(※^ω^)
途中、工事のおっちゃんに水をいただく。
こっちはスペイン語わからないのにずっと喋ってくる。
「ふう、さすがに2連チャンは辛いなあ」
少しすすむと…
「ここもなんだ、ゴメンね☆」
(゜ロ゜)
「もう汗まみれの土まみれ、もういやだ」
「この先もなんだ、ほんと働き者だよねキャピ☆( >ω・)」
チーン_(:3」L)_
それを越えたあとにはお店があり、私たちにとってオアシスであった。
その店にて店員さんが日本のこの曲名がわからないと
「あなた~が望むなら~なにをされてもいいわ」
と実際に歌ってくれたが、なんか曲調が古いぞ…
調べてみると「青い果実」がヒットした。
やっぱり結構古い曲だ。
歌詞は高校生ぐらいの一途の思いを表現したのかな…
それになぜ知っているのかは、わからずじまいだった。
店員さん、過去に日本人が来たのだろうか
もうすぐラパスに着くというところで
坂になる。
前を走っていたチョンに横並びになって
やっと都会に着くと考えると
嬉しさを押さえきれない私の顔をみて
ふたりして笑った。
ラパス到着!
海が綺麗だった。
このホテルで二人で580ペソ高いなと思い
「さっきのホテル400ペソだったんだけどなー」
「じゃあ、それでいいよ!」「はい?」
到着の宴
次回、フェリーに乗ってマサトランへ!
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サンタロサリア~ロレト【人種差別と】
10月24日
朝、たきぎをする
カモメが飛んでいた。
朝日がとくべつ綺麗だった。
今日も今日とて走ります。
走ってから休憩、お店にて
40度はある日中はコーラを毎回飲み
すっきりしてから走る、を繰り返す。
ロレトのすこし前まで汗をだらだら流しながら
到着した私たちは軍隊の検問待ちをしていた。
チョンが先に受けたのだが、なにやら長い
二人とも終わって、走りはじめたときに聞いてみると
「人種差別」を受けたらしい。
なんでも、香港出発と聞くやいなや
「チーノ!チーノ!」(中国人の意味)やら
「パスポート見せろ、麻薬もってないのか?笑」
実に気分わるいじゃないか!!
フォローできなくて申し訳ないことを伝えると
チョンは「はじめて受けたけど、気にしてないよ。それに銃持ってるから危ないよ」と
旅をはじめてから始めて差別を実感した。
それはその人の人柄を無視した、偏見という暴力だった。
チョンはとても気が利きいいヤツだ。
一度、○んこを踏みそうになった私を押して助けたぐらいだ。
変な話は置いといて、中国人という偏見だけで
決め付けるなど人間性が低いと思うし、なによりツマラナイと思う。
食わず嫌いしているようなものじゃないか。
嫌いというには、接してからでも遅くないだろう。
そしてせめて、チョンの味方でいようと思った。
やっとひさびさの街、ロレトに到着
なんだか時計台の近くがにぎやかだった。
その日はちょうどお祭りの日で
コンサートをやっていたので、音楽を楽しんだ。
なんだか音楽に私はゆかりがあるな。
その夜、しこたまビールを飲みチョンが
「タコスあんまり好きじゃないの?」と聞いてきて
「実はあったら食べるぐらい」と答えたら
ショボーン(´・ω・`)としていた。
その後飲み続けて
「ちょっと酔ったみたいだ笑」とハニカミながらと言われたとき
差別のことは少し晴れたかと思い、その言葉を聞いて私も笑った。
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ゲレロネグロ~サンタロサリア【じぶんの旅】
10月23日
4人で旅をはじめてから3日ほど経ち
相変わらずのペースだったが色んな体験ができた。
一番はかねてよりやりたかった消防署に泊まることだった。
これも奥さんのゾーリが交渉したおかげだ。
でも、なんだか味気ない。そう感じてしまう自分もいた。
自分で道を決め、交渉し、日程を決める。
いまはそうではない、英語がさほどできないので
自己主張しにくい、ので結果ついていくだけになってしまう。
したかったのはこんな旅ではないと思い立った。
決して、彼らといるのがつまらないとか嫌いという訳ではない。
次の朝、別れを切り出し
自分一人で出発したかったのだが
そこにチョンもついてきた。
彼との旅はペースも同じで、好みも似通ってるので不自由は感じない。
ただ、根っからのタコス好きということがわかり
私はそれほど好きではないので、そこが割れる点か
その午後、ビーチにあるキャンプ場に着いた,
日本ではお目にかかれないぐらい透き通っており
足元がハッキリと見え、さかなが生き生きと泳いでいた。
そこで思う存分はしゃぎ、遊んだのだった。
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ゲレロネグロ~【旅はみちづれ】
10月18日~21日
目の前にはなにもないが広がっている
正確に言うならば、山やサボテンがたくさんある。
しかし、あるというには見すぎてしまった。
考える事もなくなり退屈を感じ始めたこのごろ。
ホテルを見て回っていると中年のアメリカ人男性「ベス」が話し掛けてきた。
ベスも自転車で旅をしており、奥さんの「ゾーリ」とさらには途中で出会った「チョン」という若い男もいるみたいだ。
次の日、たまたま出発が同じになった私たちは一緒に走ることにした。
ブルガリア出身のベスは見たまんまの楽天家でその顔には笑顔が耐えない、ブルガリアだけどミスターアメリカンスマイル。
ゾーリはベスの奥さんでペースは一番遅いもののスペイン語が一番できるため、交渉は率先して行っている。
チョンは香港出身。台湾のチョンと同じ名前だ。
落ち着いた性格のようだ。
いつもブルースミュージックのような落ち着いた音楽を聞いている。
たちまち大所帯になり、にぎやかになった。
昼はひた走り、夜はお酒をしこたま飲んで寝て起きてはまた走る。
途中トラックが道路から横転しており、大事故だった。
ペースはゾーリに合わせ、アベレージ18㎞ぐらいで一日75㎞走る、楽だ。
いままでの私は急ぎ過ぎていたのではと思うぐらいだ。
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